ダンボール加工から始まった東北タツミ


裸電球

東北タツミの始まりは、この段ボール加工からです。


創業は意外と古く昭和28年(1953年)品川区大崎にて、創業者の斎藤巽が起業しました。


今となっては、超一等地です。なんで、売ってしまったのか?

大崎駅から徒歩5分、山手通りの酒屋さんの裏側でした。


その後、群馬県邑楽郡に移転し、タツミ紙工として今も元気に営業しています。

というわけで、段ボールもお任せください。


未経験なことでも果敢に挑戦した2代目の挑戦者スピリット。



転機になったのは1975年に松下電器産業福島工場様が外部委託先を探しているとの話があり、2代目の「斎藤一二」が、トランク一つ持って、福島へ向かったそうです。


段ボールの事しかわからない人間が電気業界へ。

しかも、まったく未知の福島県で事業を始める事になり今考えるとめちゃくちゃな話です。


最初はタツミ紙工 東北事業所として松下電器福島工場様の協力会社として、少しづつ受注を増やしたそうです。


そして、1980年12月に、東北タツミ株式会社が設立されました。

その時代は作るモノがたくさんあり、工場も買って、順調に業績を伸ばしました。


日本からアジアへ世界に進出する「東北タツミ」


1995年には実装など全くやった事がないのに仕事があるからという理由で、1億円のSMTフルラインをなんといきなり2ライン設置。


当時は、オペレーターを募集するのと仕事を集める事で毎日、寝れなかった記憶があります。



90年代は実装の仕事がたくさんあったので、そんな、ハチャメチャな状況でも機械は稼働していました。

その後、今の取引先様とも、新規で契約いただき、郡山工場で実装事業を継続している次第です。



2000年以降は、時代の変化が激しく、自社工場で製品加工をするよりお客様の工場内での請負業務がトレンドになっていきました。


2003年~2008年のリーマンショックまでは、5か所で業務請負をするまでになり、従業員も直接雇用400名、派遣雇用400名まで増えた事があります。



このまま順調に行くのかな、などと、安易に考えていたら、2008年のリーマンショックです。



報道でも、伝えられていましたが、7割減が現実になりました。

当時務めていただいていた社員の方々には申し訳ない事をしました。


その後、順調に、回復傾向になりましたが、やっと、リーマンから立ち直ったかなと考える頃、

今度は、2011年3月11日の東日本大震災です。



請負先の工場は設備が破損し、2か月の業務停止になりました。


また原発の風評被害もあり、長年のお客様も仕事が無くなり、最大の危機を向かえました。



お客様は復旧するまで「従業員確保してください」と補償していただいたり様々な方々の協力のおかげで今も営業を続けてられます。本当に感謝しかありません。



2012年10月1日に今までの、実装と請負だけでは、お客様にとって付加価値を見いだせないので、JALCOの部品事業を譲渡してもらいました。


その頃同時に、SMT消耗パーツを扱う事業も開始して、今の自業形態になりました。

そんなこんなで、まだまだ、頑張る、東北タツミを、引き続き、ご支援よろしくお願いします!





IMG_9350